中国侵略者に43年間も収監されたアブリズ・マフスムの生涯

 

 古い侵略者と新たな侵略者の刑務所に43年間入れられていたアブリズ・マフスム氏と奥さん(1982年)

 1884年中国の西隣に位置していたカシュガルヤ国が清朝の侵略によって倒され、清帝国の植民地になった。1886年カシュガルヤ国に“中国の西の国境側の新しい植民地”という意味の“新疆”という屈辱的な名がつけられた。その時からカシュガルヤの国民は、侵略者を拒否する運動、つまり独立運動を1日も絶やすことなく続けてきたのだ。
 1912年清朝が漢人によって倒され、カシュガルヤ、チベット、モンゴルなどが中華民国に“遺産領土”として圧政下に置かれた。中華民国、つまり、漢人政権の支配下に入ったカシュガルヤ国では、1912年から1929年まで17年間ウイグル民族の学校が閉鎖されてしまった。中華民国の東トルキスタンへの支配政策は“文盲にして支配する”ものであり、ウイグル族への教育はほとんどなされなくなった。侵略者によって新たな学校がわずかに開かれたが、それは、中国語しか教えない“学堂”と呼ばれる学校だった。

 この時代になって、カシュガルヤ国は“東トルキスタン”と呼ばれるようになった。東トルキスタンは新しい単語ではない。中世期から中央アジアの広いステップ地帯やオアシスが“トルキスタン”と呼ばれてきたのである。トルキスタンの東半分の名前が東トルキスタンである。ウイグルトルコ人がこの土地の国民である。もちろん、兄弟民族のカザフ、キルギス、ウズベク、タタール人などもこの土地にいる。

 アブリズ・マフスム(ウイグル語でAbliz Mehsum)氏は1894年カシュガル生まれで、祖国をこよなく愛した哲学者、詩人、文学者、宗教者である。
 父親は有名な学者アブドゥカディル・ワリス・ダモッラ(Abdukadir Waris Damolla)である。
アブリズ・マフスム氏は少年時代にカシュガルで就学し、母語のほか、アラビア語、ペルシャ語、イスラム文化の勉強をした。1920年インドの大学に留学し、1924年までインド人のイギリス植民主義に反対する学生運動に積極的に参加したのである。1912年東トルキスタンは中華民国の植民地になる。1914~1924年まで“新疆”省(侵略者政権)のトップを務めた楊増新氏が1924年8月にカシュガル大学の著名な教授だったアブドゥカディル・ダモッラを図書館で暗殺したのである。

 インド留学中のアブリズ・マフスム氏は父親の殺害を聞き、1924年の秋に帰国した。侵略政権によるウイグル民族の殺害と弾圧を批判し、詩を作り、本を書き、宣伝していたのである。1924~1933年、侵略者政権のトップは金樹仁氏、1933~1944年は中国の東北出身の有名なテロリスト盛世才氏だったのである。ファッショ政権によってアブリズ・マフスム氏が逮捕され、刑務所での生活が始まったのだ。刑務所でも多くの詩を作り、本を書いていたのである。

 彼は鋭い思惟、祖国に対する愛、侵略者への抵抗の思想ゆえに、中華民国の刑務所に“政治犯”として収監された。東トルキスタン国民の強烈な抵抗によって、侵略者の迫害が緩和された時期に釈放された。東トルキスタン人民が蜂起などで彼の解放を求めたのである。しかし、再び逮捕の憂き目を見た。東トルキスタン共和国は1944年11月12日から1949年11月まで、グルジャ地区(日本ではイリと呼ばれるが、ウイグル族はグルジャと呼ぶ)を中心に独立を宣言したが、旧ソ連と共謀した中国共産党政府にまたもや侵略された。その共産党政府にも、“いつまでも変わらない分子”と政治帽子をかぶせられて逮捕され、刑務所に入れられたのである。

 1982年まで中国侵略者の刑務所に入り、中華民国のころから、合わせて43年間収監されたのである。1982年、アブリズ・マフスム氏は老齢のうえ、刑務所の拷問で身体を壊していたのでようやく解放され、ウルムチにある家に戻り、妻と再会したのだった。アブリズ・マフスム氏の解放を知った東トルキスタン人が心より歓迎したので、解放されてからカシュガル、グルジャ、クチャ、コルラばどを尋ねてウルムチに帰ったのである。ウルムチでは、羊や牛などを肉に加工する会社にある平屋の住宅の屋上に梯子で上がって、市民の朝の出勤時間、昼休み、夕方の退社時間に、演説をしていた。内容は“皆さん、この漢人たちが私たちの故郷を汚し、私たちの財産を略奪している”というものだった。

 このため、当局は43年間も刑務所で拷問されたこのウイグル学者を、今度はウルムチの“精神病院”に入れてしまったのである。そのときは2カ月で釈放されたが、彼はその後も“政治活動”を諦めなかった。ウルムチのバス停で、あるウイグル青年に語りかけた。
「あなたは顕微鏡でばい菌を見たことがありますか?」
「はい、見たことがあります」
 と青年が答えると
「どうぞ、見てみなさい」と彼は混雑しているバスを示した。これはバスが日本人の想像を越えて混雑していることを皮肉ったブラックユーモアである。バスが混雑し、乗るに乗れない状況をまるで盛り上がったばい菌か、害虫のように比喩したわけだ。
 彼は中国人侵略者の人口が増えている状態を、ばい菌に比喩してウイグル青年に伝えたのである。

 1982年8月のある朝早く、アブリズ氏は家を出て、旧芸術学校、後に漢人の第12中学校に“改革”された学校の前を通る線路に立った。ここは当時、中国から侵略者を乗せてくる列車が通る唯一の線路であった。漢人は列車で怒濤のように流れ込み、東トルキスタンの土地を汚し、ウイグル民族の利益を奪っていた。この漢人の流入を身をもって阻み、抗議の意志を示すため、アブリズ氏はある決意をしていた。彼は自らの命と身体を使って、漢人を阻止しようとしたのである。
 彼はその日、午後まで列車を待っていた。そして、中国から侵略者を多く乗せてきた列車の前に自らの身体を投げ出した。88歳であった。

 1944年11月12日独立を実現させた東トルキスタン共和国のアフメットジャン・カスム(Ehmetjan Kasim)首席は、1949年8月に、スターリンから共和国の今後を話し合うとの名目で、モスクワに呼びだされていた。モスクワに赴く直前、彼はグルジャ市でアブリズ氏の自宅を訪ねた。東トルキスタン共和国の主席が来ることを知った彼は、広い庭の入り口の両側に大きな黄色い犬と黒い犬を縛って、2日間食べ物をやらずに、主席の来訪を待っていた。アフメットジャン・カスム主席が予定通りに到着し、庭に入ってきたところ、黄色い犬も、黒い犬も吠えだし、噛みつこうとした。主席は驚き、ショックを受けた。
 アブリズ氏は家の前に立って待っていた。彼は首席に「迷わずにまっすぐ来てください」と語りかけた。主席は落ち着きを取り戻し、「先生が用意した政治の授業は成功です。次の授業も楽しみにしています」と言って、家に入って行ったのである。

 その日の話の中でアブリズ氏は主席に「黄色い犬も、黒い犬も同じだ。つまり、国民党の漢人侵略者も、共産党の漢人侵略者も同じである。ロシア共産党もたくらみを持って近づいてきたら同じだ。迷わずに東トルキスタンのほうに進んできて下さい」と教えたのである。そこでアフメットジャン首席は迷わず旧ソ連へ赴いて、スターリンと対峙しようとしたのだ、旧ソ連共産党はアブリズ氏の想像を超えて腹黒かったのである。アフメットジャン首席は、スターリンの指示によって、1949年8月29日にモスクワの安全委員会(KGB)の刑務所で殺害されてしまったのである。

 東トルキスタン人の間で下記のようなことが伝わっている。アブリズ・マフスム氏は中華民国の時代に侵略者に抵抗し逮捕され、刑務所に入れられた。釈放されたものの、漢人支配は続いている。これも同じ侵略者である。やはり刑務所がましだと思って、侵略者を批判する発言をし、再び逮捕。何年も経って、釈放されても、また同じ漢人が東トルキスタンを支配しており、漢人の人口、漢人の役人は増える一方だった。やはり刑務所がましだと思ったアブリズ氏は侵略者の批判演説をし、逮捕され刑務所へ。出てきたらまだ“共産党”と自らを“飾っている”侵略者が支配を続けていた。「やっぱり刑務所がいい」と思ったアブリズ氏は中国共産党の侵略、弾圧に反対の宣伝をし、共和国の未来計画を立てて逮捕。1982年43年の刑務所人生を終え、88歳で解放されても演説を続け、精神病院に強制的に入れられた。出てきて、また演説し、最後は、侵略してくる漢人を阻むとはどういうことかを身をもって子孫に教えるために、強烈な最期を遂げたのである。

 アブリズ・マフスム氏の行動は、日本の皆さんから見れば、ナンセンスかもしれない。しかし、侵略されたほうの身になって考えていただきたい。ウイグル族の知識人が迫害され、そしてこのまま漢族の流入が続けば、自ずと東トルキスタン人の言語、宗教、文化は消滅していくのである。それがどれほど危機的なことか。アブリズ・マフスム氏は日々それを痛感していたのである。
 しかし、アブリズ氏の死のときよりも、はるかに漢族人口は増えてしまった。私たちの先祖が築いた墓所やモスクや学校も、再開発の名のもと、破壊されている。ウイグル族のアイデンティティはすでに風前の灯である。

 中華民国も、中華人民共和国も、東トルキスタン国民にとっては侵略者であり、テロリストである。このようなテロリスト相手に、“平和交渉”、“協力”をしたところで、何になるというのだろうか。それはテロを認め、支持し、援助することにほかならないのである。
 東トルキスタン独立運動は1960年から1991年まで毛沢東をはじめとする中国共産党の絶対的な秘密とされ、情報コントロールによって日の目を見ることはなかった。しかし、東トルキスタンの各地区で絶えることなく続いてきた革命である。その歴史をウイグル太郎が日本の皆さんに紹介していきたい。
   アブリズ・マフスム氏の志を継いだ者たちは、今も東トルキスタンに多くいる。海外にもいる。新しい侵略者、拡張主義者である中国共産党の野望や人権圧迫、弾圧、種族消滅などの行為は私たちも、世界中の平和を愛している各国国民も絶対許さない!

ウイグル太郎 

  
 東トルキスタン情報センター

2004年3月12日