東 トルキスタン亡命政府、イスタンブールで会議を開催

 東トルキスタン亡命政府が2005年1月9日イスタンブール時間12:00~16:00にかけてイスタンブールのゼイティンブルヌ教師活動センターで東トルキスタン難民及びトルコ市民に東トルキスタン亡命政府の設立、行っている活動および亡命国会について全面的に報告をした。

 東トルキスタン亡命政府のアブドゥウェリ・ジャン副大統領、ヒズルベク・ガイレトゥラ副総理、スルタン・マフムット・カシュガリ国会議長、ヌレッティン・トカイ宗教大臣、アイドアン・クビライ経済大臣、ネフィセ・オズゲン農業大臣、トルコにいる議員全員、東トルキスタン基金会のムハメット・リザベキン会長、東トルキスタン協力協会のセイット・タランチ会長、東トルキスタン難民協会のメンバー及びイスタンブールに住んでいる東トルキスタン難民など450人が参加した。会議をエルトルコン・ガイレトゥラが進行した。

 

会議はトルコの独立行進曲で開幕した。

 

 東トルキスタン協力協会のセイット・タランチ(亡命政府国防大臣)が東トルキスタン亡命政府の設立が東トルキスタン国民に膳を与えるよう、大きな勝利を勝ち取るように祈った。彼は海外の東トルキスタン組織および難民が亡命政府を支持し、東トルキスタンを侵略者から一日も早く独立させ、独立のために力を出し合うよう呼びかけた。彼はこれから国連とヨーロッパ国会を通して中国侵略者を非難するチャンスも増えたと述べた。

  次は、東トルキスタン難民協会の総書記のアフメット・オズチュルク博士が東トルキスタン亡命政府を簡単に紹介した。

  続けて、東トルキスタン亡命政府副総理のヒズルベク・ガイレトゥラは亡命政府が設立する前の国際形勢、中国共産党政府は東トルキスタン独立運動を一方的に非難し、東トルキスタン国内で独立運動を弾圧すると同時に、海外の東トルキスタン組織を非難した事実などを参加者に説明した。彼はアメリカ政府が東トルキスタン亡命政府の設立を許し、亡命政府設立後中国を非難したため、亡命政府を支持する方々が世界中で増えていくであろうと述べた。彼は中国の野望は永遠に実現できないと示した。彼はまた亡命政府のメンバーを会議参加者に紹介した。

 ヒズルベク・ガイレトゥラは東トルキスタン亡命国会議員も発表した。国会議員の6人がドイツ、16人がアメリカ、5人がオーストラリア、2人がオランダ、2人がスイス、4人がカナダ、1人が韓国、2人がウズベクスタン、2人がサウジアラビア、32人がトルコに住んでいると述べた。

会議に亡命政府のエニウェル・ユスップ・トゥラニが祝電を送った。祝電を議員、副外務大臣のエリキン・エズィズィが伝えた。エニウェル総理大臣の祝電は東トルキスタン独立運動の英雄で、43年間も獄中にあったアブリズ・マフスムの詩で始まり、彼の詩で終わった。

 エニウェル・ユスップ・トゥラニが亡命政府の設立に力を入れた東トルキスタン難民に謝意を示した。

  次は、議長のスルタン・マフムット・カシュガリが亡命政府の歴史意義、55年間政府なしに費やしてしまった協会運動などについて述べた。

アブドゥウェリ・ジャン副大統領は1949年から2004年まで亡命政府を設立できなかった理由を解説した。トルコやほかの国々は中国の圧力やロシアの圧力などで亡命政府の設立ができなかった、と述べた。

  次は、東トルキスタン基金の会長ムハメット・リザベキン将軍は東トルキスタン亡命政府の歴史意義と東トルキスタン独立闘争の未来について発言した。ムハメット・リザベキンが亡命政府のメンバーや東トルキスタン難民が協力して、中国侵略者に対して、抗議、闘争をもっと強めるように呼びかけた。

  次は、イスタンブールのウイグル人の知事で議員のムハメット・サリ・アルトゥシ(83歳)が亡命政府の設立を祝い、1933年に独立した東トルキスタンイスラム共和国の国歌(独立行進曲)を歌った。1930年代から今まで中国が東トルキスタンで行ったファッショ行為を強く非難した。

 会議の最後に東トルキスタン亡命国家議長のスルタン・マフムット・カシュガリがトルコに住んでいる議員に“議員証”を発行した。続けてイスタンブールのゼイティンブルヌ政府の副役長のイリヤス・サカと市民代表が東トルキスタン亡命政府の設立への祝辞を述べた。

最後はイスタンブールの東トルキスタン難民歌舞団によるウイグル舞踊で、この輝かしい会議は閉幕した。


ウイグル太郎

東トルキスタン情報センター

2005年1月9日