人権弾圧独裁国家 中国政府を糾弾する!

東著述業 安東幹

 前号で私は中国の劣悪な人権状況についての概論を書いた。しかし、中国の人権のひどさについて一回説明を受けただけではピンと来ない人もいるのではないかと思う。自由で民主主義の国、日本に暮らしていれば、人権の存在しない国、中国と言われてもイメージできなくて当然である。

 そこで、今一度、中国の人権のひどさを訴えたい。昨年十二月十四日、アメリカ政府の国際関係委員会は「中国の人権違反と一人っ子政策の強制」と題する公聴会を開催した。そこではアメリカ国務省の民主主義、人権担当者らが中国の人権状況について証言した。以下、その証言を追っていきたい。

  証言を読めば一目瞭然であるが、中国は相も変わらず人権弾圧の独裁国家である。中国は良い方向に変わったなどと主張する人がいるが、そのような事実はまったくない。

 マイケル・コザック国務次官補代理(民主主義・人権担当)は、重大な人権侵害が中国で続いていて、拷問、囚人の虐待、外界から隔離した独房への拘禁、そして法の手続きの無視が行われていると証言した。中国政府は、当局や国家の安定に脅威であるとみなした宗教団体、政治団体、社会団体をすばやく弾圧する。そしてしばしば基本的な自由を行使しようとする者たちを国家機密罪で拘禁する。

 彼によると、中国は平和的に中国共産党の方針に異を唱えたりするウイグル人や中国共産党の方針に従わないイスラム教の指導者への弾圧を国際的なテロとの戦争という名のもとに正当化している。言論の自由と報道の自由は厳しく制限され、政府はインターネットを監視しコントロールする企てを増している。また、政府は厳しく集会の自由と結社の自由を制限し、ある地方では政府への登録を拒否する宗教団体の会員への抑圧を強めている。法輪功への弾圧は続いている。強制的な堕胎や不妊手術を含む女性への暴力は、引き続き問題となっている。

  公聴会では、毛恒鳳さんの事例が詳しく取り上げられた。彼女は特別な地位にあったり大きな団体の指導者であったわけではない。平凡な普通の市民であった。それが、中国で典型的な四種類のひどい人権弾圧を一人で受けたのである。一つ目は強制的な一人っ子政策、二つ目は病気でもないのに精神病院への強制収容、三つ目は強制収容所への収容、四つ目は嘘の自白をでっちあげ彼女の信念を撤回させるための拷問である。

 一九八七年に毛さんは双子を出産し、職場に子供と母のために追加の住宅を供給するようにお願いした。(注)中国は共産主義であるために、職場を通して住宅などが供給される。職場は毛さんの母のための住宅を供給することを拒否し、紛争は彼女が三番目の子供を妊娠する一九八九年まで続いた。その時、職場は毛さんが中国の一人っ子政策に違反しているとして彼女の再度の住宅供給への要求を拒否した。彼女のハンガーストライキと職場での抗議の報復として、彼女は一九八九年二月に精神病院に収容された。彼女は六日間精神病院に収容されたが、彼女と胎児に影響を与えるのに十分な量の薬物を三日間にわたり投与された。運良く彼女は出産することができた。

 毛さんは職場に戻ると、彼女が受けた虐待への補償を求める活動を開始した。一九八九年三月、彼女は不当に職場を解雇されたが、裁判に訴え解雇を撤回させた。しかし、職場は判決を不服として上訴し彼女は敗北した。法廷闘争中、彼女は再度妊娠した。主席裁判官は彼女に中絶すれば彼女に有利な判決を出してあげるといった。しかし、一九九〇年十月に彼女はいやいやながら中絶したにもかかわらず、彼女の上訴は棄却された。

 これに対して、彼女は法廷に別件で訴えたが、裁判所は彼女を精神病院に強制収容するように指示を出した。彼女によると、夫が助けに来るまでの一ヶ月、逆さまにつるされ殴打されたという。

 毛さんは職場での解雇と住居の補償を求めて法廷闘争を継続したが、裁判所は彼女の訴えを一九九一年から二〇〇二年にかけて何度も拒否した。彼女は二〇〇二年十二月十一日に法的な書類を最高人民法廷(最高裁判所)に提出したが現在まで返事はない。

  二〇〇四年初頭、毛さんは上海や北京からの他の数千の陳情者に加わり、中央政府や最高人民会議に参加する代議士に訴えようとした。四月に彼女は上海に戻ると、拘禁され、強制収容所での十八ヶ月の宣告を受けた。理由は平和を乱したとか、二〇〇三年五月と十月の抗議で法官吏の制服を裂いたというでっちあげであった。

  毛さんは現在、他の仲間の活動家とともに拘禁されている。収容されて以来、彼女は脅迫に屈せずに、強制収容所を非難する手紙を書くことを要求している。アメリカ領事館が緊密に接触している彼女の親族によれば、彼女は家族と面会する権利を否定され、薬物常用者と一緒に拘禁されている。その薬物常用者は毛さんを虐待することを許可されている。ある時は、彼女は二日間にわたって手足を違う方向に引っ張られた。最近では、彼女は正体の知れない薬物を強制投与された。その結果、彼女の口は黒くなった。

  以上が、毛恒鳳さんについての公聴会の報告である。なお、公聴会では毛さんの事例に引き続き、アメリカ政府がどれだけ中国政府の人権政策に関与し、どれだけ毛さんのような人を救おうと努力しているかがえんえんと述べられるのであるが、日本政府も早くそのようになって欲しいものである。一人一人の日本人が中国の人権状況を変えようと意識を持って中国に接するだけでもずいぶん違うだろう。

 前回の私の論文では中国の一人っ子政策による人権侵害と精神医療を悪用した人権弾圧について紙数の関係で解説できなかったので、それら二つについて解説する。
中国の一人っ子政策は基本的人権の侵害として国際社会から厳しい非難を浴びている。特にアメリカは先頭に立って中国の人権政策を非難していて、中国の人口政策を援助する国連人口基金への資金の拠出を拒否している。

 一九八〇年代に始まった人口政策は、人権とともに人間性を著しく侵害する政策であり、中国共産党の絶対的な統制下にある政策であり、もっぱら政治的な考え方による野蛮な行為である。
出産は基本的な人権である。いかなる政府も、団体も、個人も、政治的、経済的、文化的、宗教的、あるいは人種的な理由によって出産という人間の基本的な権利を奪うことはできない。

 中国はその人口政策を擁護するのに、中国には限られた生活と土地の資源しかないと主張している。繁栄するためには、中国は人口の増加を抑制しなければならないと主張する。彼らは、人口過剰の結果としての制限された生活と土地の資源は、貧弱な教育と環境破壊、貧弱な医療制度、そして質の低い国民の生活を引き起こすと主張する。かいつまんで言えば、中国政府は、世界中の人が、特に中国の国民が、中国が貧しくて腐敗が横行したままである主要な原因の一つが人口過剰であることに同意して欲しいと希望しているのである。しかし、そのような議論は非常識で完全に受け入れられない。なぜかを理解するのに、単に地球儀のわずか先を見るだけで十分である。中国よりもはるかに人口密度が高い日本は、実際、発展した国家であり、教育水準も高く、安定していて、人口政策に野蛮な統制よりもより良い教育を通して取り組んでいる。

 実際、中国の共産主義者の政治的、経済的制度が、中国が発展せず、人口が爆発し、経済が停滞する主要な原因である。中国の人口問題を解決する唯一の方法は、中国共産党の政治的権力を強化することではなく、劇的にその不合理な政治的、経済的制度を変えることである。

 共産主義のもとでは必ず精神医療を悪用した人権弾圧が行われる。精神的にまったく健康な人たちが共産主義に従わないという理由で警察により精神病院に強制収容される。退院は「病気が治る」までだから、つまり一生精神病院から出ることはできない。治療と称して人間に害のある薬が拷問目的で大量に投与される。人が精神病になるのは正しい世界観を持っていないのが原因だとされ共産主義の学習が病院で強制される。

 ソ連でも東欧でもユーゴスラビアでもアフリカの共産主義国でも医療を悪用した人権弾圧は行われた。そして現在もキューバや中国で行われているのである。ちなみに私は日本共産党により精神医療を悪用した人権弾圧を受け、病気でもないのに代々木病院の精神科に連れて行かれた。

 中国では民主活動家、労働活動家、宗教活動家が警察により精神病院に強制収容されている。民主活動家、王万星さんの例は有名である。彼は一九九二年六月三日に天安門事件を記念して横断幕を掲げようとして以来、一時期を除いて政治精神病院に強制収容されている。いつ出られるかもわからない。病名も「政治的偏執狂」という国際社会で認められていない病気である。

 二〇〇二年八月、第十二回世界精神医学会世界大会が横浜で開催された。そこでは中国精神医学会が問題になった。中国精神医学会は精神医学を悪用した人権弾圧をやめよ、さもなくば中国精神医学会を世界精神医学会から除名せよ。今年夏に、カイロで世界精神医学会の世界大会が開催される。行方が注目される。

  その他、最近の中国での人権に関する大きなニュースである。
十二月十五日を前後して、中国政府は表現の自由を要求する作家の組織の三人を拘束し尋問した。知識人に対する弾圧の懸念が広がっている。

 十二月初頭、中国政府は六人の著名な改革主義の論説委員、ジャーナリストをブラックリストとして発表し、政府系メディアに彼らに執筆させないように命じた。新たな検閲の波が起きることが懸念されている。

 ローマに本部のある死刑廃止のための団体は、昨年世界で執行された死刑の九割が中国で執行されたと報告した。

二〇〇五年(平成十七年)一月十五日発行
中国事情 ―民族問題研究― 第二号より。 

2005年3月3日 載