中国の人口侵略主義

ウイグル太郎

  一般的に人口調査とは、正しい人口が公開されるべきであるし、それに基づいた行政の政策が決定されるべきものである。人口の割合に基づき、経済的、政治的な不平等はなくされるべきであり、経済的な政治的な利益はすべての人々に保障されなければならない。そして、その人口に合わせて公務員の割合なども決められるべきなのである。

  しかし、一部では「国際法では人口が一千万人以上の植民地国家の独立を認める」という説を信じ、それを望んで統計を行なっている人たちもいる。また別の人々はただ自分を大きく見せるかまたは個人の名誉の為に人口統計に興味を持っているのである。

  残念ながら中国侵略者は東トルキスタン国民を最終的に抹殺するために、東トルキスタンの隅まで漢族侵略者を配置させようと必死になっている。  そのため、東トルキスタンの人口は一千万人から三千五百万人の間でさまざまな説が唱えられている。

  ここで言いたいのは東トルキスタン国民が一千万人であっても三千五百万人であっても、東トルキスタンを独立させるために闘争に臨む人数と最後の勝利を勝ち取るには十分であることである。

  私たちの独立闘争は十三億人以上の中国人と戦うことではない。東トルキスタンに悪意を持って侵略してきた一千万人以上の漢族と戦うことなのである。だから東トルキスタンの人口は多くても少なくても関係ない。

  同時に、人口にこだわるということは、それだけで民族利益を勝ち取れると考え、「民主、人権、国際法」などを期待している<空想主義>、<平和主義>的な人々の東トルキスタン独立闘争で果たしている投降主義的な考え方の表出に過ぎない。

  中国侵略者は百万人の正規軍を有し、一千万人以上の侵略者を有し、侵略的な傀儡政権を有しているので、私たちの人口をいくら多く見せても彼らに無視されるのである。 ただひとつの真実、そして私たちが確信すべきことは、私たちの人口は東トルキスタンに侵略してきた漢族侵略者を追い出すのに十分だということだ。

  大事なのは私たちの人口ではなく、東トルキスタンに入っている漢族侵略者の人口である。最終的な彼らの人数、分散状況、彼らの就業状況、経済状態、軍事力、知識、さらなる増加の可能性などは私たちにとっては最も重大な問題である。東トルキスタンの独立は我々の人数によるのではなく、敵対勢力がどれぐらいかにより、彼らを消滅するために何が必要か、東トルキスタン国民はまずどの敵に有効的に攻撃をするチャンスがあるのかなどを研究しなければならない。

  人口問題を考えると、私はまず半世紀前に<ウルムチで行なわれた和平交渉>をが思い浮かぶ。あのころ東トルキスタン人は数百万人もいて、漢族は5万人にもならなかった。それを思うと私は強い悲しみを覚えるのだ。 現在では漢族は東トルキスタンだけでなく、アジアの平和にとっても威脅になってしまっている。


  東トルキスタンには40年代の前半まで漢族侵略者は役人、警察、軍隊、商売人しかなかった。そのうち陸軍は1万人にもならなかったし、有事に対応する力も持っていなかった。中華民国の侵略軍は東トルキスタンの東、南の地区とウルムチをコントロールするために配置され、1945年に東トルキスタン共和国の民族軍と対抗するためにマナス河に派遣された部隊は5千人もいなかったのである。当時、中国国内で日中戦争が終わったばかりで、国民党と共産党赤軍の内戦が続き、東トルキスタンにいる侵略者政権に支援部隊を派遣する力はなかった。

  これほど有利な形勢でありながら、東トルキスタンの権威者たちは“私たちは450万人の漢族と戦えない”と言い出し、東トルキスタン国民に中国との連合政府作りに同意するよう求めたのだ。権威あるインテリたちは東トルキスタンで人口が1%にもならない漢族侵略者を大きく見せて、まるで私たちが中国に侵略し、450万人と戦うように見せ、今日のように“人口ゲーム”をやった結果、敵に無償で援助をしたようなものだった。今日でも繰り返されている“歴史的な和平論者”と彼らに直接または間接的についていく東トルキスタン人は“私たちは10億人以上人口の漢族を敵にして独立を勝ち取るのは難しい、非暴力で抵抗しよう”という投降主義思想を主張し、東トルキスタン国民の民族独立に対する戦闘の精神に冷や水を浴びせているのである。

  東トルキスタン人の間に十三億人の漢族に宣戦をしようと思う人がいるのか。いや、いない。私たちはただ東トルキスタンを侵略してきた漢族を追い出すつもりである。

  中国侵略者からの解放の戦いとその思想は、18世紀の後半に侵略されて以来、サディル・パリワン、トムル・ハリーファ(20世紀の始めにクムルで起こった反中武装蜂起のリーダ)、1931年ホテンで起こった解放戦争のリーダムハメットイミン・ブグラ、1931年クムル地区で始まった農民蜂起のリーダのホジャニヤズ・ハジ、1944年グルジャで起こった武装蜂起のリーダのエリハン・トレ、1990年4月5日カシュガルのバリン郷で起こった農民武装蜂起のリーダであったゼイディン・ユスプまで続いてきた。しかし、海外に“平和主義者”の東トルキスタン組織リーダの中には中国侵略者のかばん持ちをし、“非暴力”を強調し、民主、人権、世界平和、地球環境を保護するなどといいつつ、北京政府と同じ主張をし、売国主義の思想を蔓延させ、歴史の間違いを繰り返している者もいるのだ。

  東トルキスタン国民は半世紀続いたこういう“人口ゲーム”、“平和交渉ゲーム”に惑わされ、1949年には5万人にもならなかった漢族侵略者人口が今日の一千万人以上にものぼり、恐ろしい、まるで蔓延するペスト菌さながらになっても沈黙してきた。1950年代には中国から東トルキスタンにつながる道路も殆どなく、東トルキスタンに流れてくる漢族人口は毎年1万人~2万人に過ぎなかった。漢族侵略者人口は東トルキスタンに来ても彼らの衣装、住まい、食事などの問題は保証がなかったので多く流入させることはできなかった。

  1950年代には中国共産党政府は東トルキスタンを国防の為に支配する土地だと思っていただけで、地下・地上資源のことは今日ほど知らなかった。当時漢族侵略者は東トルキスタンの民から財産を強奪する、犯罪者・天災をから逃げる、役人になって権力を得る場とするなどという場当たり的な目的のために来たため、東トルキスタンにいつまでも住むつもりはなかったのである。

  だから、1950年代と1960年代にはこれらの漢族侵略者は自分たちの人口を10万人に増やすことさえできなかった。その上に、先に来た漢族は後から来る漢族に対し政治、社会的な利権を独占しつづけたかったため、むしろ来てほしくないと思っていた。だから、人が増えないようにうまく制限していたほどだ。

  東トルキスタンへの侵略は、歴史上、紀元前から中原の漢族を怖がらせ、万里の長城を築かせたチュルク民族に対する報復に過ぎなかった。だから、来た漢族は我々に対し、悪事の限りを尽くしてきたのだ。中国侵略者は東トルキスタンの侵略は彼らの生死と誉れと恥とに関する問題と扱っていたのである。
 しかし、最近では中国侵略者の目的ははっきりした。東トルキスタン国民を全滅し、東トルキスタンの国土を中国として版図にいれることである。

  1960年代以降は、ウイグル民族軍の基地だったところや、軍事要地、解放地区、郊外、交通要塞、鉱区などに生産建設兵団なるものを“生産従事”の形で流入させ、だんだん武装部隊の本性を表したのである。東トルキスタン人の経済を破産させ、密かな“生産建設兵団”と名乗る実質侵略軍が安置した基地を“第二上海”、“第三天津”などの名前で宣伝し、公開し始めたのである。

  民族軍が勝利を勝ち取ったマナス河の西領域にある基地を“石河子”と名づけ、“第二上海”と宣伝した。石河子市は50年代から侵略軍の基地にされてしまった。今日では百万人侵略軍を持つ“第二中国”の手本と呼ぶべきの植民地を、東トルキスタンのあっちこっちに見ることができる。石河子市、グルジャ、ウルムチの北側に位置する“五家渠”、トルパンのデルヤ・ボーイ、クイトゥン、ウッシャック・タル、アクス……などは歴史的に中国侵略者軍が残酷に負けた場所である。しかし、今では侵略軍が工業基地を作っている。この工業生産者を装った侵略軍の真の目的は東トルキスタンを完膚なきまでに弾圧し、独立の芽を摘むことに他ならない。

  侵略軍の人口が増えるにつれて、中国侵略者政府はクムル、ウルムチ、グルジャ、アルタイ、チョチャック、ボルタラ、コルラ、アクス地区などに公式に中国から漢族侵略者を流入させ、強制で人口を増やしているのである。   中国侵略者政権の人口流入目的は東トルキスタンの合法的な国民であるウイグル、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク族などを弾圧し、東トルキスタン国土を完全に漢族化することである。同時に西トルキスタンに軍拡する準備でもある。

  1996年から東トルキスタンの南のコルラ、アクス、カシュガル、ホテン地区の各県まで漢族侵略者を流入させようと必死になっている。

  覚えておくべきなのは中国侵略者が、通婚などの直接的で露骨な同化政策を1958年から放棄し、東トルキスタン国民を間接的にまたはゆっくり苦しませるなどの手段で地球から消滅する政策を実施してきたことだ。海外の東トルキスタン組織のメンバーのほとんどは、“同化”の意味と東トルキスタン国内の事情を調査・吟味せず東トルキスタンのロビー活動をしてきた。それもむべなるかな、侵略されてまもなく祖国を去った彼らが、その後中共のしたことを知ることができるわけがない。中国侵略者政権は生産建設兵団と名乗る極秘の軍事基地・鉱区・企業、そして極秘の労働改造所、つまり刑務所を作りつつ、東トルキスタン国民の目からも国際社会からも隠してきたのである。

  中国侵略者政権は旧ソ連が解体し、中央アジアの兄弟民族が独立してから、新たな陰謀と計画を立てた。民主、人権が世界の流れになっている今日では東トルキスタン国土に東トルキスタン国民の3倍以上漢族侵略者を流入させ、東トルキスタンの軍事、政治、行政、経済権力を漢族侵略者に握らせ、工業、都市を独占し、西洋勢力の人権、民主潮流の波がやってきた時に、“独立してもいい”と発表し、中央アジアで第二の中国を建国する陰謀計画を立てて、実施しているのである。

  その時になってしまえば、東トルキスタン国民を弾圧しても、“内政”になり、“合法的”になり、新たに生まれた第二の中国は穏やかに続いていくだろう。第一中国は保護国として、中央アジアへの侵略、軍拡のための、盤石な基盤とするに違いない。これらは中国侵略者政権が東トルキスタンで実施している漢族人口を増やす政策の最終的な目的である。

ウイグル太郎

 

東トルキスタン情報センター

 

2005年7月4日