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東トルキスタン憲法を読む (2)
評論家 三浦小太郎
「中国事情 民族問題研究」第2号(殿岡昭郎事務所発行)掲載
本誌(「中国事情」)では継続的に、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)の独立運動を取り上げているが、前号で殿岡昭郎氏が紹介したように、東トルキスタン独立政府による、東トルキスタン共和国憲法が2004年11月22日に発布された。本稿は当憲法を現在の東トルキスタンの情勢と歴史の観点から読み解くことによって、今後の独立運動の方向性について考察するものである。
多民族国家としての東トルキスタン
現在の中国政府の発表等によれば、2002年段階で、新疆自治区における民族分布はおおよそ次の通りである。ウイグル族(約八百六十九万人)漢族(約七百六十万人)カザフ族(約百三十三万人)キルギス族(約十七万人)回族(約八五万人)タジク族(約四万人)オロス族(約一万人)モンゴル族(約十六万人)。ここでの漢族が中華人民共和国成立以降大量に移住してきたことは言うまでもあるまい。
各民族の特徴を簡潔に述べれば、ウイグル族はイスラム教スンニ派に属し、農業(ウイグルは小麦、稲、瓜、スイカなど多くの農産物が豊富に収穫される)、商業に多く従事する。言語はウイグル語。カザフ族は、ソ連から独立したカザフスタン共和国と同じ民族であり、遊牧が主体で、宗教はイスラム教スンニ派。言語はカザフ語。キルギス族はウイグル族との関係が歴史的に深い(一九三三、四九年の独立運動に参加)、遊牧が主体。宗教はイスラム教スンニ派。タジク族はタジキスタン、ウズペキスタンなどにも分布する民族であり、牧畜を営む。起源は東イラン系とされ、宗教はイスラム教イスマイル派。オロス族はロシア民族のことであり、宗教は勿論キリスト教・ロシア正教。回族とは、イスラム教を信仰する漢族であり、外来のイスラム族と漢族との混血から生まれ、中国全土に存在する。
さらに細部の分析や民族の分類は可能だろうが、これだけでも、東トルキスタンが本質的に各民族の交流の地であることがお分かりいただけたことと思う。
漢族は中華人民共和国の移住政策によっていまや東トルキスタン第二の人口を有する。しかし、殆どは天山山脈より北部、それも新興工業都市に居住し、特に亡命政府が新首都と認定しているウルムチに全体の十七%が居住している。言語は漢語であり、特に九十年代以降移住してきた漢族は他民族への理解が極めて乏しいとされる。実際、中華人民共和国建国答辞は約三十万人に留まっていた漢族のこの急速な移住が現地に与えている影響は極めて深刻な「新植民地主義」の傾向があることは想像に難くない。
この中国政府の姿勢を歴史的経過により簡単に振り返ってみよう。
まず、一九五七年に、「地方民族主義との闘い」と称する中国政府による民族弾圧宣言とでも言うべき運動が生じる。この年の九月二三日、トウ小平による「整風運動についての報告」がなされ、反右派闘争の一環として「民族分離を公然と扇動するものについては、断固暴露し反駁して、完全に孤立させるべきだ」との基本方針が定められる。これは単なる民族迫害を超えて、中国政府が公然と漢民族を移住させ「大躍進」政策のもと同地の経済を管理しようと市始めた時期と一致する(「生産建設兵団」と称する、軍隊に守られた移住者が大挙訪れ、現地の急速な共産党支配を確立する)。この年末には新疆自治区として次の方針が自治区党委員会によって決議され、明確に民族主義を敵と見做す方針が決定される。この決議文では「地方民族主義問題の焦点は、国家統一を擁護するのか、連邦制であれなんであれ分離主義を認めるのか、である」という原則が提起され、いかなる地方の自治をも踏みにじる精神が如時油に表れている。さらに生産建設兵団を初めとする漢族移住への批判は、一切「いわれのない誹謗」「漢族排斥」と見做されて許されず、「党内の民族主義者」は「反党分子」「ハンガリー事件を起こす事が目的」「彼らとの矛盾は敵味方の矛盾である」と決め付けられ、実際に何人ものウイグル族、カザフ族の共産党幹部が追放された。生産建設兵団はこの地域の伝統的な文化を破壊したのみならず、石油そのほかの資源を完全に漢族に握られる事になる。
続く文化大革命時は、東トルキスタンとチベットは特に激しい民族主義弾圧の嵐が引き荒れた事は言うまでもないだろう。特にこの地区は、中ソ対立後、中国の国防上も重要拠点と見做され「修正主義」「民族主義反動勢力」と見做された人々は徹底的に迫害された。しかし、この文化大革命時の悲劇をあまりに協調するがゆえに、現在の改革開放政策以後の中国政府の東トルキスタン抑圧を過小評価してはならないし、また、中国の民族政策の本質を見誤ってはならないはずである。
改革開放政策の裏で進む「中華民族主義」による漢族支配
八〇年代以降の改革開放政策は共産主義イデオロギーの弱体化、経済万能主義による人心の荒廃の中、東トルキスタンではイスラム教の大々的な復興が起こった。これはやがて民族抵抗運動に繋がってゆく。
八〇年代後半には様々な民衆の抗議行動や衝突が記録されているが、九十年四月五日に生じた、カシュガルから三十キロ離れたバリン郷で起きた民衆決起は、中国共産党新疆日報にて「反革命武装暴乱」事件と報じられる程の衝撃を与えた。コーランを唱えながらデモ行進を始めた群衆と武装警官が衝突、軍隊まで動員され、デモ隊には死者と逮捕者が続出した。この運動の全貌は明らかでないが、漢族追放、同地での核実験反対、産児制限反対、信仰の自由などの要求を掲げていたようである。これらはいずれも東トルキスタンの根本的な問題であり、デモ隊の要求は正当なものと見做すべきだ。
この後も九十年代には様々な抵抗運動が伝えられるが、九七年二月五日、カザフスタン共和国国境から八〇キロの地点にあるイニン、及び各地において民衆と武装警察が衝突した。全体像は不明(香港情報によれば各地で衝突が生じ、約六百名が負傷、逮捕者千五百名と伝えている)だが、新疆日報は「共産党政権の転覆を目的とした民族分裂主義者の破壊活動」と見做し、指導者と目される人々を逮捕、処刑している。東トルキスタンで起きているこのような抵抗運動は、組織的な反乱というよりも、むしろ現在の同地の矛盾や、漢族の支配に耐えかねた人々の自然発生的な抗議行動が主体になっているものと思われる。その矛盾、そして中国の根本的な民族政策の過ちは、改革開放政策以降定義された、現代中国の代表的民族学者、費孝通の民族定義に最も象徴的に現れている。
一九八八年、費孝通は「漢民族自体が歴史的に中国領域で生きてきた諸民族の接触、混合、融合の複雑なプロセスを経て生まれた『中華民族の凝集的核心』であり」「中国領域内に住む諸民族はその形成は多元的だが一体を形成し、『中華民族多元一体の構造』」にあるとし、この『中華民族』とは、「自然発生的な民族実態」として数千年前から形成され、十九世紀半ばから列強と対峙する中で実体化してきたと述べた。この思想は一学者の意見に留まらず、かなり悪用・歪曲されながら現在の中国政府の基本的な民族観の根本をなしている。
つまり、中国国内の各民族は、融合、混合を繰り返し、漢族を中心とした一体の「中華民族」であるとする思考は、現実政治の上では積極的な漢族の地方移住を正当化する。そして「多元一体」とは、限定的な自治は認めるが、分離独立や広範な自治権はいかなる意味でも承認されない。漢族を中心とした、各民族を統合する「中華民族」という意識の形成が、各民族の融合により千年単位で形成されてきたという主張は、歴史的事実に反する面があるばかりではなく、各民族の独立を根本から否定するものであり、民族文化、文明への軽視にも繋がりかねない。さらに、列強(欧米日)と対峙する中で民族意識が実体化したという主張は、現在の「反日教育」「愛国教育」による国内矛盾から目をそらせる姿勢の正当化にすら使われかねないのである。
このような、漢族中心の「中華民族」概念の中に全ての民族を「融合」という名の下に「抹消」「風化」する政策に対し、東トルキスタン民衆は抵抗運動を展開してきたのだ。
亡命政府をここ日本でも承認を
このような東トルキスタンの現状を踏まえて亡命政府の憲法を再読する時、ここには幾つ物重要な定期がなされている事が読み取れる。
まず、イスラム教を国境として定めたことには、現在の東トルキスタン民衆の精神基盤がすでに共産主義ではなく信仰に根ざしつつある現状に根ざすものだ。そして、この東トルキスタンは、歴史的に長い経過を経て(10世紀の始めから)イスラム化されてきた地域である。現在、イスラム教は一部原理主義者やテロリズムに結び付けられたイメージが余りにも強すぎるが、アル・カイダに代表される、既存の国家秩序を破壊するために歪曲されたイスラム主義ではなく、各民族が統一国家を建設するためのアイデンテイテイの一つとして、イスラム教が、シーア派、スンニ派の立場を超えて、人々を結びつける事に繋がれば、これは混迷する中東情勢に対しても極めて有効なメッセージとなるだろう。その意味で、本憲法がイスラムを国教としながらも各宗教の信仰の自由を最大限保障していることの意味は大きい。本来、イスラム教はこのような寛大な、各民族の穏やかな同居を可能にするはずのものだったはずである。本憲法の精神は、中華民族主義のような「融合による抹消」ではなく、東トルキスタンを、各民族がそれぞれの特質を活かしつつ一つの混合国家として確立する事、その中でイスラム教が歴史的伝統にもとづく国教として、各民族間を連携していく事を目指しているのだ。イスラム原理主義やテロと、東トルキスタンの独立運動が根本的に違う精神に根ざす事を、この憲法は明確に示す。またイスラム教の今後のあり方の一つ、分離や西欧的価値観との暴力的対決のための信仰ではなく、民主主義や人権思想と共存し、かつ、歴史的な民族のアイデンテイテイの擁護と、それに基づく国家建設のための接着剤という、イスラムの新しい役割をも示している。そして、このような各民族の共存、それぞれの独立と民族主義尊重の上での共存というあり方は、21世紀の中国全土、またアジア全体の一つの未来像ともなりうるものである。
勿論、現実の独立運動が東トルキスタン各民族の対立を完全に乗り越えているか否かはまだ今後の展開によって判断しなければならないだろう。そしてより重要なのは、現実の中国の抑圧政策に対し、果たしてここで示唆されるような人権運動的側面のみで果たして対抗できるかどうかという問題点だ。
ウイグル太郎氏が毎号紹介されている弾圧の惨状は、このような人権運動の限界点をも予見している。私たちに必要なのは、さらに中国政府に対し、正当な民衆の声に耳を傾ける事を要請し、抗議の声を挙げること、さらには日本政府を動かす事によって、中国政府の抑圧を止め、東トルキスタン民衆に、また亡命政府に、平和的な人権運動、独立運動が国際的に評価され、中国の姿勢を変えていくことが可能だという希望の灯をかざして行くことだ。
抑圧された人々が、その正当な要請を無視され、世界中から見捨てられたと感じた時には、彼らが絶望からテロを選択する事を道義的に非難することは難しい。私たち日本国が行うべきことは、この独立政府が、各民族の文化、権利の尊重、民主主義、人権、穏健で平和的なイスラム教に根ざした新国家建設という、現代世界から見て正当な目的を掲げ、全ての民族を「中華民族」として抹消しようという抑圧者に抗して立ち上がった事を正当に評価し激励する事だ。その上で、彼らの独立運動の方針や手段に問題点や疑問があれば是々非々で評価していく公正な視点も必要だろう。まず、自由と民族独立、そして平和を価値とする筆者はこの憲法の精神の肯定面を積極的に評価する。そして、この亡命政府がここ日本でも何らかの意見表明の場を出来るだけ早期に持ちうること、その上で、私たち日本国民の心ある人々との、アジアの未来に向けた様々な交流がなされる事を希望するものである。(終)
東トルキスタン情報センター
2005年10月8日
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